特別推薦人
波塚進一 様 (元河合塾講師 浄土真宗大谷派 浄賢)
教育という文字を調べてみると、教え育てることであり、望ましい状態にさせるため、心と体の二つに働きかけることである。と大概は理解できる。だが、教え育てることと育て教えることとは、些かニュアンスの違いがある。
子どもがこの世に誕生し、初めて経験する社会の単位は当然家庭。そこは育まれる場である。授乳・排泄、快・不快から始まる泣く・笑う(機嫌がいい)育まれる場には最初から相互の関わりが存在し、関係性が生まれ続いていく。子どもは依存から自立を学んでいく存在。自我の芽生えは自立への一歩。そこで、必要となっていくものは経験。
学習はその経験の一つであり、将来の在り方を選択するための知恵となる。全ての経験は無駄にならないことを伝える(教える)ことが大切だと、大人が知っているかどうかを子どもは突き付けてくる。
私は道徳授業を取り入れている株式会社トップはその「教える」という本当の意味を知っている数少ない教育機関の一つだと確信しています。
株式会社トップで勉強だけではなく、教育を学べることを子供達に期待します。
守谷たつみ 様 (学校法人早稲田学園 わせがく高等学校 校長)
わせがく高等学校は「自由」、「個性」、「夢育」をモットーとして、高校卒業資格の取得はもちろんのこと、通信制・単位制だからできる特徴を生かして「失敗してもやり直せる学校」に挑戦し続けています。また、社会の役に立つ豊かな個性を持つ生徒を創り上げたいと願っています。人間の能力は生まれた時に出来上がっているものでなく、一人ひとりの中に埋まっているものです。成熟社会となった日本はそれぞれの個性が尊重され、自立した個人が自己の責任の下に様々な選択の自由がある環境となっています。そのために一人ひとりの能力・適性に応じた教育が必要になってきています。特に物質的飽和社会である現代においては、ソフト面や精神面の充実に心を配り、生徒一人ひとりの多様な個性を尊重し心のふれあいを大切にして行きたいと感じています。
わせがく高校は来年創立60年の伝統ある大学受験の名門「早稲田予備校」と同一の学校法人早稲田学園が運営しています。設立して以来、わせがく高等学校はその結果、平成22年度は卒業率99.0%、単位修得率95.6%、不登校改善率78.5%を誇っています。
しかしながら、とても嬉しいことなのですが在校生からよく言われる学校のイメージは、「とっても楽しい学校だ!」ということです。
さて本校は平成15年4月に開校した来年度設立10周年を迎える高校ですが、すでに2717人の卒業生を輩出しています。みんな様々な困難や悩みを抱えながら、それらを克服して卒業していきました。自分の未来や夢は、自分でしか築けません。しかしながら、わせがく高校は最大限にサポートする事が出来ます。
これからも私どもわせがく高等学校と株式会社トップとで手を取り合い一人でも多くの児童の道しるべになればと心よりお祈りしております。
林周剛 様 (八洲学園高等学校 校長)
高等学校で過ごす「時」は、生徒さんの「人間力」を育み、将来豊かな人生を送るためにとても大切な時間です。
八洲学園高等学校は、その「時」をより充実したものにできるよう、学習面はもちろん、生徒さんの個性を大切にさまざまな場面でしっかりとサポートし導いています。
熱心な教職員が自慢の学校です。
現在は多様な学習環境、生活環境の中で、自分らしさを大切にする教育環境を選択できる時代です。
株式会社トップと八洲学園高等学校は、そんな多様な環境、状況にしっかりと対応する教育機関です。
今後の教育活動にどうぞご期待ください。
大竹富江 様(抽象画家、造形作家)
星川先生、及び、日本の小さなお友達へ
私は、ブラジルへ移住して、80年になります。
ブラジルへ来た時は、文化の違いや日常生活がまったく日本と違って、別の世界へ来たような気持ちでした。
でも、早くブラジルに融け込もうと言う気持ちが強く、まずは友達を作ろう、そうすれば、この街中も簡単に歩けるようになれると思い、すぐこの国に
なれる事ができました。
私からのお願いは、日本の子供に学校のお友達や先生と仲良くお付き合いをし、近所付き合いも大切な事だと思います。
そうすれば、皆がもっと幸せな人生を送れる事だと思います。
みんな元気でがんばってください。
皆様に、私からのキスをお送りします。
オオタケ トミエより。
京都出身。23歳で渡伯。40歳から画家として出発。現在ではブラジル現代アートの巨匠と目される。地下鉄、道路、公会堂など公共の場に巨大なオブジェクトが飾られている。2001年にはサンパウロに大竹富江文化センターを創設。2008年には「日本人移民100周年事業」として、サンパウロのグアルーリョス国際空港に巨大なモニュメントを創作。90歳を過ぎても元気に創作を続けている。
株式会社オリィ研究所 代表取締役CEO 吉藤健太朗 様
小学5年~中学3年まで不登校だった私は、当時好きな事をし続ける日々を送っていました。特に工作が好きで、中でも折り紙は時間を忘れて没頭出来るほどでした。また絵を描くのも好きで、漫画家になろうと思った事もあります。
その当時、中学校の先生が特別な教室を私にプレゼントしてくれて、授業を受けないときに工作をしていました。3ヶ月の短い期間ではありますが、今でもはっきりと覚えています。
当時を思い返すと、理解し受け入れてくれる人がいるということが何より自分の支えになったと感じています。
今、私は病気や怪我で思うように身体を動かせない方や精神的に苦しんでいる方への支えになるものを作りたいという考えからオリィ研究所を作り、OriHimeというロボットを開発しました。実際に手にとって、「これは素晴らしい」と言ってくれる方の声が、本当に作ってよかったと改めて実感させてくれます。
ものづくりが好きで、途中で辞めることなく諦めることなく続けてきたからこそ、今の自分がいるのだと思います。
私自身が不登校を経験していますから、将来のことや今の生活に不安を抱えているときこそ、「これ以上悪くなる事はないのだから、もう怖いものなどない、あとは自分のやりたい事をやってもいいよ」と伝えたいです。
傍から見たら無意味な非生産的な作業だとしても、結果として先の見えない自分の人生の糧に勝手になっている事もあるでしょう。先生や周りの協力者が私の支えであった様に、皆さんにとっての支えがフリースクールとっぷの先生であるかもしれません。
10年後、20年後にはあの不登校の時があったから、今の自分があると肯定できる自分になって欲しいと思います。
吉藤健太朗 プロフィール
奈良県葛城市出身
小学5年~中学3年まで不登校を経験。奈良県立王寺工業高校にてものづくりの巨匠、久保田憲司師匠に師事、行った電動車椅子の新機構の発明により、国内最大の科学コンテストJSECにて文部科学大臣賞、ならびに世界最大の科学コンテストISEFにてGrand Award 3ndを受賞、その後寄せられた多くの相談と自身の療養経験から、孤独の解消を志す。
高専にて人工知能を研究した後、早稲田大学にて2009年から孤独解消を目的とした分身ロボットの研究開発を独自のアプローチで取り組み、自分の研究室の立ち上げ、産学連携室最年少メンバーなどを経て、2012年、株式会社オリィ研究所を設立、代表取締役CEO。
青年版国民栄誉賞「人間力大賞」、スタンフォード大学E-bootCamp日本代表、ほか AERA「日本を突破する100人」などに選ばれる。
管野善則 様(元国家公務員上級甲種)
理系の考え方・思考力が生きていく上で、また社会の生活において非常に重要であると私は考えています。
現状の教育、例えば理系の大学では1から10まで自分で考え実際に行動に移すことにより、結果が出て、更に試行錯誤を繰り返すという思考回路の生成が自然と生まれます。
これは外国の大学にはあまり見られない優位性であります。
しかしながら、私が通産省から大学教授まで歴任してきた上で言える点は、バブルが終わり高度成長期でない中で今までのやり方が通じるのか、今一度教育に対する考え方というものを改めて考え直すべきであると感じています。
私は今現在、新しい教育の有り方、すなわち大学在学中のコネ作りや長いものに巻かれるような行動や状況を抜きに、博士後期課程は研究開発にだけ没頭できる、博士後期課程のみのTokyo International Institute of Sci.&Tec.(TIIST)を提唱しています。
自然科学に関してはプロフェッショナルですから、この考え方を基に新しい教育を積み上げていければ、また同じく教育業界において急成長を遂げる株式会社トップアルファは、生徒の年齢は違うにせよ新しい教育の有り方を持っています。
フリースクールと個別塾の組み合わせは今後非常に需要が高まると考えていますから、トップアルファさんと私の培ってきたノウハウで1人でも2人でも教育に意識ある人材が生まれることを願っています。
管野善則 プロフィール
東工大博士課程修了(工博)→国家公務員上級甲種、通産省工業技術院→名古屋工業
技術試験所 主任研究官→山梨大大学院教授→首都大学東京 産業技術大学院大学教授
併任で、フランス ナント大学固体物理化学研究所助教授、岡山大学地球内部研究センター助教授・トリニティー カレッジ物理学科・アレニウス研究所・ノースウエスタン大学化学科等の招聘研究員、台北科技大 客員教授等を歴任。
民間では、東証2部、東京衡機社外取締役を長年勤め、現在も東京衡機試験機の監査役を務める。
更に現在、ベンチャー企業2社を立ち上げ奮闘している。
専門分野:応用物理(材料科学)を軸に機械工学、電気・電子工学、建築、応用化学、化学工学、環境工学、医工学分野を畑としている。
小栗了 様(株式会社NAC代表取締役)
フリースクールとっぷの皆さまへ
小学生の私は、本当に泣き虫でした。小学校では、私が1日に何回泣くかを、
クラスメイトが朝一賭けて、みんなでその回数に到達するように、なんとか私を泣かそうとしてくるという時期がありました。今から思えば、長い人生の中では、大したことではなかったと思いますし、今思えば、そこでやられてベーベーと泣いていた自分も悪いと思います。ただ、当時10歳くらいの私はそれができず、全てであった小学校の中でどう生きていけばいいのか、全くわかりませんでしたし、背も小さく、力も弱い私にはどうすることもその時はできませんでした。
幸いにも、私は、父と母のサポートを受け、問題は解決しましたが、なかなか父にも母にも、そのことを言えなかったことを鮮明に覚えています。
でも、言いづらかったことも言ったことによって、道は開けました。
物事の受け取り方は、人それぞれです。やっている方からすると、遊んでいるだけだったかもしれませんが、やられている私は遊びだとは思えませんでしたし、
どうしたらいいか、本当に小さいながら悩みました。
でも、私はその時の経験は今の人生にいい意味で本当に生きていると思いますし、そこで一歩踏み出せたから今の私があると思います。
今の時代は、私たちの時代よりもSNSなどの普及もあり、もっともっと見えないところで嫌な思いをすることも増えていると思います。だけど、一つ忘れて欲しくないのは、自分が間違ったことをしていなければ、いつか、自分を理解してくれる仲間が絶対にできます。
どんなに辛い場所でも、面白くないことでも、それを楽しく面白くできるのは自分次第です。そこで、楽しく面白く生きていれば、いつか仲間は増えていきます。
人生は長いです。私は、人間は死ぬまで成長できると思っています。いま、無駄に過ごしていると思っている時間も、長い目でみれば最後には必ず生きてくると思います。だから、何をするにも遅いということはないです。それと、あなたは一人じゃないです。理解してくれる人はきっといますから。
泣き虫で、勇気をなかなか持てなかった私でも、辛いことも嫌なこともありますが、楽しく生きていますから。みんなもきっと大丈夫だから!